赤坂氷川神社 (あかさかひかわじんじゃ)は、東京都港区赤坂にある神社。同区内白金にある白金氷川神社・元麻布にある麻布氷川神社と区別するため「赤坂氷川神社」とも称される。 天暦五年(951年)、近江国の蓮林僧正が東国修行中、武州豊島郡人次々原(現在の赤坂四丁目のあたり)に奉斎したのが創祀と伝えられる。将軍家の尊信篤く、享保14年(1729年)、江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が、老中岡崎城主水野忠之に命じ、現社殿を現在地に造営。翌15年(1730年)に現在地へ遷宮された。この時に造営された現在の社殿は、東京都の有形文化財に指定されている。

社殿
社号標
手水舎
御神木(大銀杏)
赤坂氷川神社 社号標・鳥居

御祭神

  • 須佐之男命(スサノオノミコト)
    黄泉の国から戻った伊弉諾尊(イザナギ)が禊を行ったときに鼻から生まれた男神。 イザナギに海原の統治を託されたが、母に会いたいと泣き叫び、イザナギに見捨てられる。その後、高天原に上り雨岩戸事件を引き起こし、その責任をとって高天原を追放され地上へ下る。そこで、櫛名田比売(クシナダ)を救うため八岐大蛇を退治し「英雄神」となった。
  • 櫛名田比売(クシナダヒメ)
    ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところ、スサノオはアシナヅチ・テナヅチと、クシナダヒメを妻として迎えるという約束を交わした。そして、スサノオはクシナダヒメを櫛に姿に変え、その櫛を頭に挿してヤマタノオロチを退治したとされる。
  • 大国主命(オオクニヌシノミコト)
    因幡の白兎(稲羽の素兎)にて素兎に助言し、八上比売(ヤガミヒメ)と婚約した事を兄神(八十神)に妬まれ二度殺される。また根の堅州国に行き、スサノオの娘である須勢理毘売(スセリビメ)に出会い惚れ、スサノオの試練を乗り越え、スセリビメを妻に迎え葦原中国を譲りうける。その後、何人かの妻と、多くの子供をもうけつつ、少名毘古那(スクナビコ)と協力し国作りを完成させる。しかし、高天原のアマテラスが「地上は私の子孫が収める!」と、建御雷之男神(たけみかづち)などを派遣し要請され完敗するも、天高くそびえる神殿(現在の出雲大社)の建設を条件に国を譲った。

赤坂氷川神社へのアクセス

所在地

港区赤坂6丁目10-12

最寄駅

  • 東京メトロ千代田線「赤坂駅」
  • 東京メトロ日比谷線「六本木駅」
  • 都営大江戸線「六本木駅」

外部リンク

  • 公式ホームページ – 赤坂氷川神社